よくネット上の掲示板・SNS、あるいは仕事場の同僚、競馬友達、さらに競馬場内にいる年配の方達も、
やたらと「自分は勝ってる」「当たった」アピールをしている人達というのを、見かける機会が多くあります。
ではその人たちは本当に勝ってる・当たっているのでしょうか? 私は常々そのことを疑問に思っていたので、徹底的に検証していきたいと思います。
本当のお金持ちが、SNSでいちいち「こんなの買いました」「こんなところ来ちゃいました」等と、アピールをするだろうか
(ウン百万円の○○を買ったとか、○○(超高級店)に行ったとか)
「別にそれって普通の事じゃないですか」
この一言に、この問題の全てが集約されていると思います。
もちろんお金持ちだからといって、SNSでアピールしないとは言い切れません。
よっぽど自己顕示欲が強くて、幼少期からお金持ちに憧れを持ち続け、ついにそのステージに立った人ならもう、アピールしまくりなことでしょう。
しかし「本当のお金持ち」の人から見たら、その人はどう映るでしょうか?
例えばのお話ですが、もしSNSなんかで「吉野家に来ちゃいました!しかも見てこれ、大盛りなう!」「マックの店内あったけぇ~」「今夜はネカフェに泊まります!ネカフェ最高~」
等という投稿を見たら、「え?」となりますよね。 きっとこの投稿を見た多くの人は、この人ホームレスの人なのかな?と思うことでしょう
この構造はもちろん、ギャンブルにも当て嵌めることが出来ると思います。
「その状態を特別な事だと思っている」とは、つまりどういうことか
普段我々がSNSでいちいち、吉野家で大盛りを食べることや、布団で寝れることをアピールしないのと同じように、
「本当のお金持ち」が一般庶民よりちょっと購入なお店で食事したり、買い物したりすることを、いちいちアピールするでしょうか?
同じレベルかそれ以上の収入帯の人達から見たら「その(程度の)ことをSNSでアピールなさって、どうかしたんですか?」となって恥をかくだけなのかなと思いますし、お金持ちは上には上がいる事を普通分かっていますから、「本物」ほどかえって自重する傾向にあるように思います。
そういうアピールをしている人達の、優に9割以上は「そのステージにいない人」と思って、良いのかと思います。
本当に勝っている人は、別に的中することや、回収率100%以上の状態は「当たり前の事」
私自身も競馬歴はそれなりにあるものですから、回収率70%前後や、かなり悲惨だった年、あるいは100%を超えた年等、様々な回収率帯の経験があります。
100%を超えてくるような年というのは、「けっこう当たっている感覚」だったことを、今でも何となく覚えています。(もちろん人によっては一撃超大穴馬券を当てただけで100%超えた人もいるかと思いますが、そこまでいく程の大的中は無い場合の話で)
なので70%くらいの年と、100%くらいの年では、体感としてはかなり「的中」という部分に関して差があったように思い、この30%の差というのは、かなりデカイものがあったと思います。
例えばスロットなんかでも、設定1でずっと入金口にお札を投入し、コインを借りてプレイし続けている状態であれば、「大当たり」を引いた時はかなり嬉しいですよね!
でも設定4くらいで最初いくらか入金して、その後ずっと大当たりを引いたコインでプレイし続けている人にとっては、「大当たり」を引くという行為自体はある種当たり前のことであり、またそうでなければプレイをし続けることも、勝つこともできない訳ですから。
先程のお金持ちの話と合わせて、
競馬で「本当に勝っている人」にとっては、的中することは別に特別なことでもなく日常的なことで、「勝っている」という状態が当たり前なのだから、いちいち誰かにアピール等しない
ということが言えるのかと思います。
「しかし本当に勝ってる人でも、負けている大勢に向かって自己顕示欲の強さから、自分は勝ってるアピールをするかもしれないではないか!」
という声もあるかと思います。それは確かにあると思います。
でもそれは「勝っている人」のステージに行っていない人の言い分だとも思うのです。
もう1つの大きな理由
「勝っている状態を維持し続けることは、簡単なことではない」
「勝っている人達」というのは、ちょっとでも気を抜いたら、勝っている人じゃないステージ(つまり回収率100%未満)に、転落してしまう恐れは常にある、ということを理解していると思います。
週末になれば目の前の1レース1レースに真剣に向き合い
「(結果が出ない週が続けば)自分の予想方法に傷があるのではないのか?」「もっと有益なファクターはないか?」「競馬のことをもっと勉強すれば、もっと回収率は伸びるはず。今度はあの本を読んでみよう」
本当に勝っている人達というのは、基本的には、こういったことに余念の無い人達で、努力をし続けている人であると思います。
それも、いちいち自分が勝っていることをアピールしない、1つの大きな理由になっていると思います。
本当の「勝っている人」というのは、負けている人が想像しているほど、楽な状態にいない。 そんな人達が、誰かに勝ってるとか的中したとかアピールしている姿というのは、あまり想像がつきません。
その他、「本当に勝っている人が」勝っているアピールをしない理由
・「本当に勝ってる人」であれば、負けている人達からの対応が面倒なので、むしろ逆サバを読む
例えば競馬で本当に勝っている人が、どこかの会社で働いていたとしましょう。同僚達にも競馬好きな人が何人かいて、競馬の話で盛り上がったりもするでしょう。 そんな時、自分1人だけが競馬で勝てる方法を知っていて、毎年回収率100%以上だと知れると、「これは面倒なことになる」というのは、想像に難しくはないのかと思います。
「○○さんどうやって勝ってるんすか?教えてくださいよ!」「今週のGⅠの本命は?」等と毎週のように聞かれ、同僚達は勝てる方法の秘策を聞き出すまで諦めないことでしょう。 人に教える・勝ってるアピールをするということは、その必勝法が必勝法でなくなる日を早めるリスクにもなり兼ねません。
むしろ本当に勝っている人ほど「誰かに勝ってるアピールしたい欲」というのは比例して少なくなり、「まぁ、自分はちょい負けくらいですかね」等と答えて、適当にやり過ごすのではないでしょうか。
・負けている人に悪い気がする
あまりにも勝ち続ける状態に入ると、ふとこのような事を思ったりするのかもしれません。 競馬というのは、馬券を購入する多くの人達がいるから成り立っているのであって、自分はその負けた人のお金を手にしているのだと。
勝っていれば勝っているほど、自然と負けている人達に、「自分は勝ってます!」アピール等、しなくなるのかもしれません。
・勝っているお金が、いつまでも自分の手元にあるという保障がない
本当にお金を手にして、かなり貯金をしている人であれば、「このお金が100%このままずっと手元にあり続ける状態とは言い切れない」という部分を理解していると思います。
例えば勝ち過ぎた一部の人には、「税金を払え」という、逆らうことの出来ない理不尽なお達しがくる可能性があります。
あるいは今の自分の馬券術が、突如通用しなくなり、あっという間にこの資金が目減りしてしまう可能性があることも理解していると思います。 例えば私は1億円以上勝った「馬券裁判」の人の本を読んで、その時のキャッシュフローの推移や、精神状態等も見ることができました。
そんな状態で「自分勝ってます!」「○○というレースで当たりました!」等と自慢している余裕はあるのでしょうか、いや無いと思います。
等々、他にもまだまだ理由は出てくるかもしれませんが、私が思い付く限りでも、このような理由があるのかなと思います。
まとめ
「負けている人は、勝っている人達の世界が、想像できない」
SNSなんかと違って、アピールする際は写真付きじゃなくてもいいので、その分だけ手軽に優越感に浸れる、競馬界の「勝ってる・当たった」アピール
でもそれは、分かっている人から見たら、貴方がどういう状態なのか ということの自己紹介でしかなくなってしまいます。
競馬でレース前に、予想や買い目を晒しもしないで、後から当たった等とアピールすること自体「何の意味もないし、ただ単に自分を下げるだけの行為」
ということを、分かっている人は一定数いらっしゃると思いますし、そこを理解できているからこそ、アピールしない人はアピールしないのだと思います。
浅はかなアピールはやめて、自分に正直になった方が、競馬の面ではもちろん、人生全体が良い方向に行く そんな風に私は思います。